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    柴 亜伊子
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清少納言は甘葛のかき氷を食べていた?

 6月27日発売の女性セブンの記事、「歴史上の美女が食べていたこだわりの健康食美容食」で、清少納言のところでコメントだしています。

 

清少納言が好んで食べた漢方シロップみたいな見出しがついていたかと思いますが、清少納言が食べていたとされるのは、甘葛のシロップで、それを氷にかけて食べていた記述が残っています。

 

最初に情報提供をされた方が、おそらく、漢方の「甘草」と間違えられて、訂正する時間がなかったのか、気づかれなかったのか、そのまま残ったものと思われます。

 

 

最初、「清少納言が甘草のシロップをかけて食べていたらしい」とお聴きして、夏に結構頻繁に食べていたようで、確かに、甘草ちょっと甘いんでしょうけど、そんなに甘草ばっかり食べたらいかんやろ、と思いました。

清少納言、どっか体悪かったんかいな、と。

 

で、調べてみると、甘草はでなくて、甘葛でした。

 

甘葛。。。?

 

そういや、マンガ「信長のシェブ」で、ケン(織田信長のおかかえの料理長。天才料理人です。現代人なんですが、地震で戦国時代にタイムスリップして、現代の料理の知識を活かして、戦国時代で手に入るもので料理をする)が、甘葛で、アンパン作ってたな。。。

 

 

料理のレシピとか好きなので、料理に関するマンガも大好きです。

「信長のシェフ」は、料理の話だけでなく歴史漫画としても非常~におもしろいし、とても勉強になります。

この時代がよくわかるわ~。(結構信じてしまっていますが、今まで習ってきた歴史の教科書とかと合点がいく)

 

信長の時代、砂糖がやっと日本に入ってきました。

 

この時代は、砂糖は、とても貴重なもので、ほんとの権力者しか手に入らなかったようで、信長が砂糖を使えるというのは、まさに信長の権力の象徴であり、信長だからこそ、です。

 

かといって、湯水のように使えるわけではないので、特別な時以外は、砂糖はあまり使っていないような気もします。

 

他の甘味でいける場合は、それを使っていたかと思います。

 

で、甘葛(アマズラ)と呼びます。

 

この甘葛、ツルを切って、その断面から抽出して、煮詰めて、という、途方もなく時間と人手のかかる方法でしか、採れないようで。。。

 

奈良女子大で、幻の甘葛を作ってみよう!とチャレンジされてました。

http://www.nara-wu.ac.jp/grad-GP-life/bunkashi_hp/amadzura/Amadzura_report.pdf

http://www.nara-wu.ac.jp/grad-GP-life/bunkashi_hp/amadzura/amadzura_hp.html

 

いや~、大変です。。。

 

いくら砂糖の代わりと言っても、これだけの時間と労力を費やして甘味を手に入れようとは、やはり信長でなくても、時の権力者ではないと、難しいでしょう。。。

 

清少納言は、平安時代の一番栄えた、藤原道真のお抱えでしたから、甘葛も毎日でも食べたい放題だったのかもしれませんね。。

一般庶民には、手に入るものではないでしょう。。

 

 

どの時代もそうですが、徳川家康が糖尿病だった説などあり、時の権力者は、美味しいものの食べすぎで(主にやなり糖質でしょう)、いつの時代にも生活習慣病はあったんでしょうね。

 

織田信長は、実はアルコールは飲まなかった、という説もあるそうです。

その代わりというのか、織田信長の甘党説は有名で、かなり甘いものを好んで食べていたとのこと。

信長だから、甘葛にしろ、砂糖にしろ、手に入ったからのエピソードかもしれません。

 

歴史的事実は勉強していないので知りませんが、「信長のシェフ」の中で、信長が「田舎侍で、田舎臭い下品な料理しか知らないだろう」と京都の公家にバカにされているシーンなどがあり、そこにケンが洗練された現代のフレンチや懐石風の料理を出すので、ビックリさせるという場面があります。

 

今でも、京都の料理は薄味、というのは、旅行に来られた方の中では知られているかもしれません。

 

でも実際、京都以外の関西のお店で食べていて、味濃いな~と思ったことはないです。

 

博多とか広島でもないです。金沢や東京でもないな。

 

四国と名古屋は、甘い!と思いました。しょっぱいのではなく。

 

北海道のラーメンで、あまりのしょっぱさに水を入れたくなったことは一度あります。

大丈夫なお店もあります。

 

寒い地域は、どうしても塩分を多く摂る傾向にあります。

 

これも、「信長のシェフ」の中で出てくるエピソードですが、元宮廷(御所とか宮家)料理人だった人が、信長に料理を作るエピソードがあり、信長が「マズイ!」と怒る場面があったかと思います。

 

その人が、ケンの信長に料理を作っているところをみて、「えらいたくさん塩きかすな~」というシーンがありました。

 

あとから、なんで、あんなに塩入れるん?と聞く場面があり、「しょっぱすぎないのか?」と。

 

ケンが、

うちの親方様(信長のこと)は、当主としてふんぞり返っている方ではなく、戦になると先陣を切って行ってしまうような方。普段からも、鍛錬を積んでおられるので、たくさん汗をかいているから、労働者と同じ塩梅にしないといけない。あなたの料理が決してマズイわけではなく、親方様が普通の権力者とは違うんです。

みたいなことを言うシーンがありました。

 

織田信長味オンチ説みたいな諸説もあり、これはきっと、京都の公家連中がバカにしたのもあるのかもしれません。

当時、京都の公家関係の権力者は、汗をかいて動き回るということはないので、汗をかかないということは、それほど塩分の消失がない、ということです。

そうであれば、普段の食事の塩分は、控えめで十分なわけです。

 

かたや、汗水流して動いているような方は、料理の塩分を濃くしないと、まずく感じるし、それでは、塩分が全然足りないので、体調に不調をきたします。

(だから、熱中症対策としても、塩分が必ず必要です)

 

京都の料理は、御所や公家に合わせた料理が一番とされてきたわけですから、汗流している方からしたら、そういう意味では、薄味、になっているのかもしれません。

 

ちなみに、京都では、醤油は薄口と言って、色の薄い醤油が使われます。

煮炊きものなど、野菜でも魚の色が、全部まっ茶っちゃにならないようにするためです。

素材の色を殺さないように、と、醤油の色を薄くしてあるわけですが、濃口よりも、実は、薄口のほうが塩分濃度は濃いんです。

醤油はあまり使っていなくても、塩は使っているわけです。

(東京のうどんが真っ黒と聞いていますが、食べたことないので、見たこともないんですが、塩分が関西よりも濃いわけではないと思います。見た目の色の問題かと。

そばは絶対東京のほうがおいしい! 関西から来たと言っていたタクシーの運転手さんも、寿司とそばは、東京のほうがおいしいとおっしゃってました。江戸前ですね~)

 

話を戻します。

 

 

からだの使い方、日常生活の過ごし方で、料理の塩分は変えないと本来いけないので、上流社会にいきなりデビューした信長には、塩分の薄い食事はさぞ味が薄かったことでしょう。

 

織田信長が激高する、よくキレる、冷酷で恐ろしい、みたいに語り継がれていますが、これもどうかわかりませんが(秀吉がのちにそう書かせたという説もあります)、「信長のシェフ」の中で、ケンが、「うちの親方様は、おなかが空くと機嫌が悪くなる」と言って、周りの家臣もプッと笑うシーンがあります。

 

甘味か糖質食べすぎで、血糖値下がっていたのかもしれませんね。

そう言う時に、キレたり、怒鳴ったりしたのかも。

 

この時代、本当に戦で先陣を切るような人であれば、普段の鍛錬から言って、糖質摂っても、糖尿病にはならないでしょう。

落ち着いてからの家康ではないし。

でも、あれだけの快挙をなしえた偉人ですから、頭も体も、ものすごく使って(信長は非常に優れた戦略家でもあった説。でないと、戦国時代、勝ち残れない)、栄養の消費は激しかったと思います。

まだ、この時代、動物性脂肪と動物性蛋白質がまだまだ足りませんから。

交感神経は、ずっと緊張しまくりでしょうし、糖新生もキリがなかったのかもしれません。血糖コントロールが大変だったのかも。。

 

 

牛や豚は、家畜(労働力)として大事に扱われていたので、食べるということは忌み嫌われていたそうです。

薩摩のほうでは、それでも豚肉食べてたそうです。

(こういう差が、幕末に発揮されるのかと)

一般的に、猪、鹿肉、うさぎなどは食べていたようですが、皇族貴族などの位の高い人は、獣肉はあまり食べなかったので、食べている武士に勝てません。だから、平安時代は終わるわけです。

 

 

各時代の食べ物事情がわかれば、その時代がどれだけ生きていくのが大変だったか、よくわかりますね。

 

ちなみに、甘葛の成分は、果糖:ブドウ糖:ショ糖が、1:1:3だそうです。(奈良女子大によると)

この時代、結構甘いですね。

ショ糖が多いので、清少納言も砂糖中毒だったかもしれませんね。

源氏物語を書いているわけですから、頭もとても糖を欲しがったでしょう。

こういう貴族は、ケトン体が出る前に、糖質食べていたでしょうから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カテゴリ:

医療, 栄養・食事